いま、何か一曲かけてやるよと言われれば、
迷わず『スローなブギにしてくれ』と答えるだろう。
声がふるえなければいいが、と思いながら。
No.1
2010/08/07 (Sat) 19:23:12
2008年9月、僕がオーナーをしていた会社に税務署が入った。
あっという間に売り掛けが押さえられ、創業14年目にして倒産。
夜逃げ同然で事務所を引き払い、現状を察してくれた恩人S氏に誘われるまま、社員を連れてS氏のグループ企業の傘下に入る。
残ったのは支払いの山々と、督促電話の数々。
土地と自宅を処分し、そして離婚。三人の娘の親権は相手方に。
ダメージに心折れそうなとき、きっと、自分がとっていた行動は己のことしか見えないものだったのだろう。一人、また一人と、かつての部下が辞めていった。
会社、仲間、家、家族。一年後には、そのすべてを失っていた。
ーーーー再生したい。しかし、その強い想いは空回りを続けるだけ。
周囲からは煙たがられ、誰も僕に付いて来る者はいなくなった。
大した成果も挙げられない僕は、やがて自分の居場所もなくなり、2010年春、退社。
これが僕の現在までの二年間である。
こんな男がブログをはじめようというのだ。いったい誰が読みたいというのか。
それは現実逃避への媒介か。そこにあるものは人生の落伍者の愚痴か。
この二年間で心から感じたことがある。それは、自分がこんなにも弱い人間だったのかということ。
修羅場の一つや二つ、くぐり抜けてきた男だと思っていた。
いつも若い部下たちに囲まれ、人情に厚く、そして常に大きなビジョンを掲げて情熱的に生きる男。
そんなふうに本気で思っていた。自分のことを。
しかし現実には、ちょっと横槍が入っただけで守るものも守れず、底辺から見事に崩れてしまうような『弱い男』であり、さらにその横槍も自業自得の果て。加えて『甘い男』でもあったのだ。
これまでの人生の大半を錯覚し、それに麻痺しながら生きてきたのかと思うとゾッとした。
そんな男だもの、人生初めての打撃に対し迅速に立ち直ってみせるパワーなんて備えているわけがない。
僕は初めて気づいた事実に愕然としつつも、そんなふうに己を受け入れた。
二年かかった。
だからこそ生きたい。もう一度、本当の意味で人生を味わいたい。
ゼロに帰る。いや、決してゼロではない。
失ったものは大きいが、20年必死にやってきた実績と経験までをも喪失したわけではない。
モノづくりが好きだ。コピーライターからクリエイティブディレクターへ。
さまざまな広告制作、数々の販売プロモーション。手がけてきた仕事で、多くの人々を喜ばせてきた自負がある。
もう一度、やってみよう。
僕は新天地を海外に求めた。
タイ・バンコク。政治闘争のまっただ中。混沌とした街に渦巻くエネルギー。
不潔で不親切で不愉快な街。しかし、ナチュラルでラジカルでチャンスに溢れた街。
晩春から準備に入った。この街でやっていくのは大変だ。心底そう思うが、何処で何をやっていくのも大変なのだ。
年金暮らしの両親に呼ばれ、説明を求められた。それは初めて僕に見せる表情だった。
死にながら生きていた二年間をしっかりと超えていきたい。改めてそう思った。
やがてビザを取得。そしていよいよこの夏、僕は本格的にタイにやって来た。
まずはタイ語学校への入学。アイウエオからのスタートだ。
たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人が離れていき、
たくさんの人にまだ会えず、たくさんの謝罪の言葉も伝えきれていない。
僕のバンコクでのスタートを、いったい何人の人たちが祝福してくれるだろうか。
たぶん、あまり、いないかもしれない。
バンコクは雨季。毎日、嵐のようなスコールが街を駆け抜けていく。
慣れない土地での生活にとまどうことばかりだが、
朝から晩まで実にいろいろなことを考える。
これからの人生は今までの人生の時間より少ないかもしれない。
だからやるべき事をどう作り、それをどのようにやっていくのか。
ここは外国だ。目標を見失った瞬間、一気に堕ちていくだろう。
みんな、すまなかった。本当に迷惑かけました。しかし今は僕をバンコクで頑張らせてくれませんか。
そんな思いで僕は、ここに言葉を吐露していく。
あっという間に売り掛けが押さえられ、創業14年目にして倒産。
夜逃げ同然で事務所を引き払い、現状を察してくれた恩人S氏に誘われるまま、社員を連れてS氏のグループ企業の傘下に入る。
残ったのは支払いの山々と、督促電話の数々。
土地と自宅を処分し、そして離婚。三人の娘の親権は相手方に。
ダメージに心折れそうなとき、きっと、自分がとっていた行動は己のことしか見えないものだったのだろう。一人、また一人と、かつての部下が辞めていった。
会社、仲間、家、家族。一年後には、そのすべてを失っていた。
ーーーー再生したい。しかし、その強い想いは空回りを続けるだけ。
周囲からは煙たがられ、誰も僕に付いて来る者はいなくなった。
大した成果も挙げられない僕は、やがて自分の居場所もなくなり、2010年春、退社。
これが僕の現在までの二年間である。
こんな男がブログをはじめようというのだ。いったい誰が読みたいというのか。
それは現実逃避への媒介か。そこにあるものは人生の落伍者の愚痴か。
この二年間で心から感じたことがある。それは、自分がこんなにも弱い人間だったのかということ。
修羅場の一つや二つ、くぐり抜けてきた男だと思っていた。
いつも若い部下たちに囲まれ、人情に厚く、そして常に大きなビジョンを掲げて情熱的に生きる男。
そんなふうに本気で思っていた。自分のことを。
しかし現実には、ちょっと横槍が入っただけで守るものも守れず、底辺から見事に崩れてしまうような『弱い男』であり、さらにその横槍も自業自得の果て。加えて『甘い男』でもあったのだ。
これまでの人生の大半を錯覚し、それに麻痺しながら生きてきたのかと思うとゾッとした。
そんな男だもの、人生初めての打撃に対し迅速に立ち直ってみせるパワーなんて備えているわけがない。
僕は初めて気づいた事実に愕然としつつも、そんなふうに己を受け入れた。
二年かかった。
だからこそ生きたい。もう一度、本当の意味で人生を味わいたい。
ゼロに帰る。いや、決してゼロではない。
失ったものは大きいが、20年必死にやってきた実績と経験までをも喪失したわけではない。
モノづくりが好きだ。コピーライターからクリエイティブディレクターへ。
さまざまな広告制作、数々の販売プロモーション。手がけてきた仕事で、多くの人々を喜ばせてきた自負がある。
もう一度、やってみよう。
僕は新天地を海外に求めた。
タイ・バンコク。政治闘争のまっただ中。混沌とした街に渦巻くエネルギー。
不潔で不親切で不愉快な街。しかし、ナチュラルでラジカルでチャンスに溢れた街。
晩春から準備に入った。この街でやっていくのは大変だ。心底そう思うが、何処で何をやっていくのも大変なのだ。
年金暮らしの両親に呼ばれ、説明を求められた。それは初めて僕に見せる表情だった。
死にながら生きていた二年間をしっかりと超えていきたい。改めてそう思った。
やがてビザを取得。そしていよいよこの夏、僕は本格的にタイにやって来た。
まずはタイ語学校への入学。アイウエオからのスタートだ。
たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人が離れていき、
たくさんの人にまだ会えず、たくさんの謝罪の言葉も伝えきれていない。
僕のバンコクでのスタートを、いったい何人の人たちが祝福してくれるだろうか。
たぶん、あまり、いないかもしれない。
バンコクは雨季。毎日、嵐のようなスコールが街を駆け抜けていく。
慣れない土地での生活にとまどうことばかりだが、
朝から晩まで実にいろいろなことを考える。
これからの人生は今までの人生の時間より少ないかもしれない。
だからやるべき事をどう作り、それをどのようにやっていくのか。
ここは外国だ。目標を見失った瞬間、一気に堕ちていくだろう。
みんな、すまなかった。本当に迷惑かけました。しかし今は僕をバンコクで頑張らせてくれませんか。
そんな思いで僕は、ここに言葉を吐露していく。
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HN:
Iwao Matsumoto
性別:
男性
趣味:
創作と観賞 料理 ANNA
自己紹介:
厄年とはいえ、自業自得のミスで会社が倒産。初めて知った世の中の厳しさにもがきながら、新天地をタイ・バンコクに求めた男。日本で失敗した中年男が激動のバンコクでどこまでやれるのか? デザインやら何やらといった得意分野は果たして通用するのか?
決して焦らず、しかし着実なスピードで、一歩一歩進んでいきたいと思う今日この頃。善くも悪くも希代のロマンチスト。
決して焦らず、しかし着実なスピードで、一歩一歩進んでいきたいと思う今日この頃。善くも悪くも希代のロマンチスト。
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